「生き物の『いのち』その価値をどうやって測ればいいのか、考えたことはあるかい?」
そのマスターの問いかけに、僕は言葉がうまく出なかった。カウンター越しに静かな目で見つめるその瞳には、ただ正解を求めているのではなく、僕自身が考える時間を味わおうとしているような余裕があった。
「そりゃぁ、いのちは一番大事なものなんじゃないかな。」
僕が安易にこの問いに答えたのなら、
「一番ということは愛やお金、友達よりも大事な価値があるということだね。」
なんて答えが返ってくるに違いない。何よりマスターはそのような答えを求めてない。だから言葉に詰まった。
マスターは静かに続けた。
「例えば、私にとってのカフカと君にとっての金魚1匹。それは客観的に見たら一つ一つの命の塊かもしれない。そうだとしたらいま君は2匹のペットを同時に失ってしまっている。それは私がカフカを2回も失う悲しみと同じなのかな。」
私には耐えられないがね。ふと口角を上げつつ、マグカップを真っ白な口ひげに近づけながらマスターはつぶやいた。
ひと呼吸おいて僕が答える。
「確かに僕は二匹のペットを失った今とても悲しい。でも仮に一匹が助かっていたとしても同じ気持ちだと思う。失った命の塊の数だけ悲しみが増えたり、助かった命が多いほど嬉しかったり、というものではなさそうだね。」
日が落ち、カフェの窓の外はしっとりとした夜の闇に包まれていた。マスターは静かに時計を見つめ、小さな声で言った。
「もう遅いし、そろそろお帰りの時間だね。雨も止みそうにないし、気をつけて帰るんだよ。」
その言葉に促され、僕はコートを手に立ち上がった。外の冷たい空気が扉の向こうに待っていることを感じながら、マスターの温かな眼差しを最後に受けて店を後にした。